ブログの良いところ

2021年5月27日木曜日

雑記

t f B! P L

ブログって良い意味でも悪い意味でも閉鎖的だよなって使ってて思う。
今はそれが心地良い。

コメント機能はデフォルトでは付いてないし、基本的にリプライやコメントができず評価みたいなもんがブラックボックスに包まれてるし、
一人の空間で何かしらの想いや野望、情報を一方的に発信する事が目的で、基本的に交流は目的とされてない。

読者は構ってもらう事を視野に入れてないし、筆者はアクセスは気にしつつもジャーナリストやライターに近いスタンスで情報の発信ができる。

You Tubeやツイッターは交流を促そうとしてる仕組みだから、ベッタリなファンや粘着質なアンチを生みやすいんだ。

例えば、ツイッターで周りを見回しても、ちょっと必要以上にベッタリ過ぎるか気を使って悪く伝わるのを極端に嫌う会話ばかりで少し疲れを感じるかと思えば、
一方でff外からクソリプだけを鼻くその様に飛ばしてたり。

毎日ベッタリ連絡を取り合うこともなく、でも際どい冗談は言えて、何かに対して仲が拗れることを恐れすぎずに熱く議論もできる関係は相当に築きづらい。
そして、ff外からくるクソリプは基本的に通知はいらない。せめて、知らないとこで陰口を叩いててほしい。
なんというか関係性が不自然になりがちなのだ。

長い事知らないところにいて実はずっと好きだったって言ってくれるファンが欲しい。
そして、アンチは遠いとこで自分自身のタイムライン上で勝手に批評してて欲しい。エゴサする余裕がある時に初めて目に留まるだけでいい。

ブログの拡散力がSNS程に高ければ積極的に使いたいんだけど、そこがやっぱ欠点になってくるんだ。
できれば、忌憚なく会話できる極少数以外に対しては双方向ではなく一方的な発信がしたいと切に願う。

他の人に強制することは無いけれど、
老人文化の年賀状を電子上に輸入したかの様なリツイートをしあう文化は疲れるので、
その時たまたま見ていいと思った物や人にいいねを押して、拡散や引用したいと思った発言をその時の気まぐれでリツイートするぐらいには気まぐれでいたい。

でも、アルゴリズムがいいねを贈り合ってリツイートしあうと拡散力が上がる仕組みになってるんだからしょうがない。

結局何が言いたかったのかわからなくなったけど、
ブログの様な形態で発信したものがツイッターの様に拡散され、
You Tubeで最低限忌憚なく会話できる相手とだけゲームや対談をし、

それでいてお互い直接顔を合わせなくていいというネットの利点を生かして、
無駄にリアルを語らず趣味や議題の話を深めて、
視聴者がそれを遠巻きに見て一方的に受信するのが望ましいよなっていうただの感想というか願望がきっと語りたかったのだ。

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