お金って何?

2019年7月5日金曜日

経済

t f B! P L


最初のテーマ何にしようかなと考えたときに、


まずは専門分野を自称してる経済系のネタから行こうかなと思いました。


色々引用などの機能も使ったり最初の方は実験もかねてブログ記事を書いていきたいと思います。


まぁ、しばらくは140文字で収まらない何かしらの感情を書きなぐるツールとして使っていきたいと思ってますので、


拙いブログだと思いますが、小学生の自由研究を見ているぐらいの温かい目で見てもらえれば幸いです。


それでですね、まずはこちら




このツイートで法定通貨が苦手って言ってしまったんですが、ちょっとこれ語弊があるんです。


昔は、ドルユーロやドル円のグラフを研究したこともあるし、一日中見ているのも好きなぐらいでした。


しかし、今は失恋した彼女のような感じで嫌いというよりは見るのが苦しい状態というのが正しいかなと。


140文字では苦手としか表現ができなかったのです。そういう次第です。


今回その失恋(笑)の一部についてお話します。


そこで、こちらのツイートを見てください、






 これ、名前を調べると最後通牒ゲームや最終提案ゲームというらしいです。

詳しく説明すると、


『Aさんは1,000円を渡されますが、その1,000円からBさんにもいくらか渡さなければなりません。しかし、渡す金額は0円も可能ですが、Bさんには拒否権があり、金額に納得がいかずに受け取りを拒否すると、A・B両者ともお金はもらえません。つまり、Aさんは、Bさんが拒否権を行使しない最低限の金額を提示したいわけですが…。Aさんが提示するその金額とはいくらになるでしょうか?』


というゲームで、結論から言うと経済学的に想定される答えは1円になります。


ところが、考えればわかると思うのですが、ほとんどの人は200円以下を提示されると拒否権を行使するそうです。


この結果をもって、


人は合理的経済人ではなく、合理的な決定をできないと結論付けるわけです。


しかし、実際には合理的にプライドに値段がつけられた結果だと思いませんか?


人のプライドの値段を測ってる実験でしかないじゃないかと。



でも、まぁこのように経済学において貨幣というものについて考える機会には、


貨幣というものを絶対的な価値基準とすることを前提にするわけで、


漠然と無意識的に絶対的なポイントシステムであるように刷り込まれていたんだと思います。



しかし実際にしっかり勉強していけば、中央銀行(乱暴に言って国家)によって価値を左右され得る砂上の楼閣でしかないんだなと気づくわけです。当たり前なんですが。


それで、なんとなく気持ち悪さを覚えてしまったみたいなのが理由の一つだったりします。


まぁそんなこんなであんなに大好きだった金融的な思想の法定通貨がなんだか苦手になって、


今まで好きすぎたからこそ、神の見えざる手を統計的に導き出す感覚に喜びを感じて、チャートの観察に魅力みたいなのものを感じてたわけですが、そこに盲目的になれなくなった結果反動を食らってしまったというわけです。



まぁ理由の中では、極々小さな部分の一つなのですけどね。


他の理由についてはまたの機会があれば話をしたいと思います。


ってことで、今回は実験的な記事だというのもあるのでこんなところでお開きにしますね。


最初の記事を出さないといつまで経ってもスタート地点に立てないから。


これからまた140文字に収まらない感情表す気になった時、完全不定期で記事を書きたいと思います。


ではでは、またね!

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